なぜフェミニズムは多様性を許容できないのか
現代フェミニズムは、旧来の「女性はこうあるべき」といった固定的で抑圧的な女性像の破壊を目指してきました。しかし、その過程で、今度は「これからの女性はこうあるべき」という新たな規範や型枠を作り出し、それに合わない女性を排除したり批判したりする傾向が見られます。この現象は、多様性の尊重というフェミニズム本来の理念と矛盾しており、深刻な問題を含んでいます。本記事では、なぜこのような「新たな型枠」への押し込めが生じるのか、その原因と背景について解説します。
問題の所在:高市早苗氏の事例に見る「名誉男性」認定
この問題を示す典型的な例として、政治家・高市早苗氏の事例が挙げられます。もし彼女が総理大臣になったとすれば、「ガラスの天井」を破った歴史的な快挙であると評価する見方もあります。しかし、一部のフェミニストは彼女の政治的スタンス(例えば、「ワークライフバランスを捨てる」といった発言)や政策を批判し、この快挙を積極的に評価しない、あるいは否定的に捉えることがあります。
これは、高市氏の姿勢が、フェミニストが理想とする「あるべき女性像」や「女性の権利向上に取り組むべき」という期待 から外れているためです。その結果、彼女を「女性」としてではなく、男性中心的な社会構造に同調する「名誉男性」として認定し、女性コミュニティから排除しようとする動きに繋がります。これは、多様な女性の生き方や価値観を許容しない、新たな型枠の存在を浮き彫りにしています。
「これからの女性像」の型枠にはめ込んでしまう原因
なぜ、旧来の型枠を壊そうとしたフェミニズムが、新たな型枠を作り出してしまうのでしょうか。
イデオロギーと理想の女性像の結びつき
フェミニズムは多様な思想の集合体ですが、その中には特定の政治的イデオロギーや理想とする社会像と強く結びついたものがあります。その理想像とは、例えば「ケア労働の価値を重視する」「リプロダクティブ・ライツを重視する」「男性中心社会のシステム変革を目指す」といったものです。
この理想像が強固になると、それに合致しない女性の行動や選択は、「女性解放の妨げになっている」と見なされやすくなります。高市氏のように、従来の男性政治家的な働き方や保守的な政策を志向する女性は、この理想像から逸脱していると判断され、批判の対象となるのです。
「正しい」女性の選択肢の限定
旧来の女性像(例:家庭的であるべき、優しくあるべき)を否定する一方で、「これからの女性」のロールモデルとして、「自立している」「キャリアも家庭も両立する」「女性の権利のために声を上げる」といった新たな規範を提示することがあります。
これらの規範自体はポジティブな側面もありますが、これが唯一の「正しい女性の生き方」として押し付けられると、そうでない選択をした女性(例:専業主婦になりたい人、政治に興味がない人、男性的な働き方を選ぶ人)は、「意識が低い」「家父長制に絡め取られている」といったレッテルを貼られ、多様な生き方が許容されなくなります。
議論の二極化と「敵・味方」の構図
SNS時代においては、複雑な問題を単純化し、議論が「敵か味方か」の二極化に陥りやすい傾向があります。フェミニズムの議論においても、「女性の味方」か「女性の敵(あるいは家父長制の擁護者)」かという構図が生まれやすく、批判的な意見を持つ女性は「敵」側に分類されがちです。
「名誉男性」という言葉は、まさにこの二極化の産物です。特定の女性の言動が、フェミニストコミュニティの「共通の敵」に利すると判断された場合、その女性は「女性」として扱われず、「男性」あるいは「裏切り者」として認識されるようになります。
多様性の受容と建設的な未来へ
現代フェミニズムが直面するこの課題は、自らの掲げる「多様性の尊重」という理念に立ち返ることでしか解決できません。
重要なのは、「女性」という大きな括りの中には、政治的信条、生き方、価値観が異なる多様な個人が存在することを認識することです。ある女性の成功や選択が、他のすべての女性の理想である必要はありません。
旧来の型枠を壊すことに成功した今、新たな型枠を作り出すのではなく、様々な生き方や選択を互いに尊重し合う社会を目指すことが、真のジェンダー平等に繋がるはずです。それは、特定のイデオロギーに基づく「あるべき女性像」を押し付けるのではなく、個々の女性が自身の意志で人生を設計できる自由を確保することです。
