現代フェミニズムの第一人者とされる人々の言説は、一見、抑圧からの解放を謳っているように見えます。しかし、その根底には、女性の多様性を完全に無視した**「ミクロ合理主義の罠」が潜んでいます。そして、その罠は、良心の欠如を伴った客観的合理性という冷酷な論理を振りかざし、女性の権利と自由を、最も狭隘で家父長制的な領域である「恋愛市場における決定権」**へと収束させ、女性を再び檻の中へ押し戻そうとしているのです。
客観的合理性が生み出す「無機質な選別」
現代フェミニズム言説が依存するのは、「客観的合理性(Objective Rationality)」という名のもとに、感情や多様な価値観を排除した冷酷な損得計算です。
構造的抑圧は「無駄な選択」にすり替わる
本来、貧困、性暴力、差別といった問題は、社会全体のマクロな構造変革を要求すべきです。しかし、この言説は、問題を個人(ミクロ)の選択に還元し、**「合理的に考えて、あなたの選択は無駄であり、非効率で、結果的に不幸である」**と断じます。
- 感情と多様性の排除: 人間の選択は、愛情、文化、個人的な価値観、非合理的な憧れなど、多様な要因によって形成されます。にもかかわらず、特定の言説は、こうした要因を**「構造的抑圧による洗脳」**として一律に切り捨てます。推奨されるのは、**市場原理や資本主義の論理に照らして「最も得をする」**とされる、無機質な選択のみです。
- 「正しさ」という不自由: この「客観的合理性」が推奨する「正しい女性の振る舞い」とは、若さ、高学歴、自立といった**「市場価値の高い属性」を持つ女性の戦略を標準モデルとして全女性に適用することに他なりません。特定の属性を持たない女性の生き方を「構造的な抑圧の結果」として一律に断罪し、「客観的に見て正しい型」から外れることを許さない、新しい形態の不自由を生み出しています。この論理は、女性の自由を守るというより、むしろ女性の行動を最も効率的な経路へと誘導する**ためのマニュアルとして機能しているのです。
ルッキズムを土台とした「優しい優生学」の台頭
この客観的合理性の深層を貫くのは、極めて排他的な**「優生学(Eugenics)」の思想です。ただし、これは血統や遺伝による露骨な選別ではなく、「市場価値」を基準とした、より狡猾な「優しい優生学」**です。
価値なき女性は「憐れむべき劣位者」か
「客観的に正しい選択」をする女性と「そうでない女性」の間には、明確なヒエラルキーが築かれます。
- 選別の基準の拡張: 従来の優生学が身体的・精神的な「健全性」を基準としたのに対し、現代の優生学は**ルッキズム、経済力、学歴、そして「自己決定の合理性」を新たな基準に組み込みます。容姿や身体的属性の「市場での価値」**を暗黙の前提とし、それに従う「合理的な女性」を上位と見なします。
- 「劣位者」の定義: 容姿や年齢などの属性が市場価値を失った女性、あるいは「非合理な選択」をした女性(例:専業主婦、夜職、容姿を追求しない選択)は、**「市場で価値を失った者」または「構造に屈した被害者」として、社会的な劣位者として選別されます。彼女たちの存在は、「私たち(合理的な選択をした賢明な女性)が抗うべき抑圧構造の証拠」**として、社会的な憐れみの対象として利用されます。
- 排他的な選民思想: 弱者救済を掲げるはずのフェミニズムが、**「賢明な選択ができる者」と「そうでない者」**を峻別し、特定の価値基準に従わない女性を劣位と見なすことで、社会的な優劣のヒエラルキーを再生産するという、恐ろしい自己矛盾を孕んでいます。
良心の欠如:共感なき論理が女性の自由を破壊する
この言説の最も冷酷な側面は、**「良心の欠如(Lack of Conscience)」**です。客観的合理性という論理が、他者の苦悩や多様な生き方への共感を完全に排除しているのです。
苦悩は「論理的誤謬」として処理される
良心とは、他者の立場に立って共感し、倫理的な判断を下す能力です。しかし、客観的合理性に支配された言説においては、他者の苦悩や非合理的な選択は、**「感情的なノイズ」あるいは「論理的な誤謬」**として処理されます。
- 共感の排除: 女性が抱える複雑な状況や、非合理な選択の背景にある個人的な物語は、構造変革のための政治的道具としてのみ価値を持ちます。彼女たちの選択を理解し、尊重しようという「良心」や「共感」の姿勢は、非合理的で甘いものとして切り捨てられます。
- 自由の矮小化と閉じ込め: この良心の欠如を伴うミクロ合理主義的言説は、女性の権利と自由を、最も狭い領域である**「恋愛市場における決定権」**に閉じ込めてしまいます。
- 性愛への収束: 「性的な自己決定権の確保」や「男性の選別権を持つこと」が、まるで女性の解放の最終到達点であるかのように描かれます。
- 公的領域の放棄: 女性の真の自由が、政治的平等、経済的自立、社会参画といった公的な領域にあることを無視し、女性の価値を**「誰かに選ばれる/選ぶ」という性愛・再生産の役割**に意図的に押し戻しているのです。
彼女たちは、構造変革ではなく、「私的な領域での優位性」を女性の自由の象徴として差し出すことで、女性の目を社会全体から逸らさせ、結局は女性を家父長制が用意した私的な檻の中に押し戻しているのです。
良心を取り戻し、構造変革へ
仁藤夢乃氏らを代表とする現代フェミニズムの一部は、客観的合理性という冷酷な論理、ルッキズム的優生学という選別思想、そして良心の欠如という致命的な欠陥を抱えています。これにより、女性に「正しい選択」を強制し、その自由を恋愛市場の決定権という狭い領域に閉じ込めています。
私たちが本当に目指すべきは、特定の生き方を断罪する優劣思想ではありません。良心に基づき、他者の多様な生き方を共感をもって尊重することです。そして、個人の戦略の優劣ではなく、構造的な抑圧を是正し、女性の自由を公的な領域へと拡大させることこそが、真のフェミニズムの戦場であり、私たちはその議論を今すぐ始めるべきです。
