マッチョな政治家の自己陶酔と弱者切り捨ての罪
積極財政バッシングに潜む冷酷な視線
経済の停滞が長引く中、景気回復のために必要な「積極財政」の提言がなされると、決まって**「ポピュリズム(大衆迎合)」**という批判のレッテルが貼られます。あたかも、国民にお金を配ることは意識の低い行為であり、財政規律を守ることこそが「大人の政治」であるかのように。
しかし、この積極財政批判の裏側にある真意は、単なる財政論争に留まりません。それは、国民への「マッチョ的な強さ」の強要であり、社会保障を必要とする弱者を冷酷に切り捨てる自己陶酔的な政治家の姿勢が透けて見えるからです。
票を失うことよりも「強さ」を演じる政治家たち
積極財政を批判する政治家には二つの側面があります。
票を失うことへの恐れ(ヘタレの甘言)
一つは、財政規律を重視する「意識の高い」層からの票を失わないため、積極財政を**「無責任なバラマキ」と貶める自己保身**の姿勢です。
国民に痛みを押しつける「強者」という自己陶酔
より深刻なのは、後者の側面です。小泉純一郎氏、米山隆一氏、藤巻健史氏といった論者に共通するのは、「本当に強い政治家は有権者を恐れず厳しい政策を打ち出せる」「正しい道のためなら国民に痛みを押しつけることを厭わない」という、サッチャー主義的なマッチョ的な自己陶酔です。
彼らにとって、「財政規律」は国民を「自助・自己責任」の崖に立たせるための道具であり、自己の政治的「強さ」を証明する手段になっています。彼らが言う「痛み」とは、社会のセーフティネットの費用を削ることで生じる不安と困窮そのものなのです。
「自助」という名の冷酷な責任放棄
この「強い政治家」の自己陶酔に基づく緊縮財政は、社会の痛みを無視し、公の責任を国民個人に転嫁することを意味します。
ライフライン、災害対策までも「自助」に委ねる冷酷さ
社会保障、ライフラインの整備、災害対策といった、本来国家が担うべき安全弁までも、国民一人ひとりの**「自助」という名の下に委ねようとします。いかなる困難や災害に見舞われても、国の助けを借りずに立ち直れる「強い国民」像を強要し、その強さを持ち得ない人々を社会の落伍者として扱います。**
弱者への冷酷なレッテル貼り
さらに冷酷なのは、社会保障を必要とする人々への視線です。困窮や疾病などにより公的支援を必要とする人々は、彼らの論理からすれば「自助」が足りず、**「財政の足を引っ張る存在」**と見なされがちです。
彼らのレトリックは、あたかも支援を求める人々を**「穀潰し」であるかのように誹り**、排除しようとする意図があるかのように響き渡ります。真の経済構造改革ではなく、弱者への選別と切り捨てを正当化する道具として「緊縮」が利用されているのです。
需要不足が招く絶望的な過当競争と「労働強化」
政治家たちが国民に「強さ」を強要する一方、実際の経済構造は需要不足によって疲弊しています。
「若者の自動車離れ」というウソの裏側
需要不足は、業界を越えた過当競争を招きます。例えば**「若者の自動車離れ」。これは関心がなくなったのではなく、「手が届かないから関心の対象から外れた」**だけです。末端の下請労働者の手取りが月16万円前後といった水準では、高額な自動車は選択肢から外れ、手の届く範囲のスマートフォンと競合せざるを得ません。
自動車産業の経営者が嘆くべきは、自社製品の魅力の欠如ではなく、国民の懐事情が生むマクロな需要不足なのです。
賃金と生産性の曲解が生む「相対的賃下げ」
過当競争下で採算を取る道は、人件費の切り詰めしかありません。ここに、日本の「生産性」の歪みが現れます。
日本では**「生産性を上げる=労働者の賃金に対するコストパフォーマンスを高める」**と曲解されがちです。その結果、「生産性向上=労働強化」という図式が成り立ちます。
**「100の賃金で如何に100より大きい労働量を得るか」**という理屈。これは、マルチタスク化によって「1人で2人分のタスクをこなし、賃金は1人分のまま」という、相対的な賃下げにほかなりません。
いくら個社の効率を高めても、社会全体の総売上が伸びなければ、真の生産性は上がったとは言えません。この労働強化は、経済成長の源泉ではなく、格差拡大の源泉として機能しています。
必要なのは「国民を信じる強さ」
積極財政を「ポピュリズム」と貶める政治家の姿勢は、国民の痛みを直視せず、自身の「強い政治家」という虚像を守るための自己陶酔であり、社会の弱者を冷酷に切り捨てる責任放棄です。
彼らの追求する緊縮は、需要を破壊し、労働者を疲弊させ、国力を削ぐという痛ましい結果をもたらしています。
本当に強い政治家とは、国民に痛みを押しつけることではなく、適切な財政出動によって需要を創出し、公の責任としてセーフティネットを確立することに尽力できる人物です。
積極財政の推進こそが、社会全体を豊かにし、誰もが安心して暮らせる社会を築く**真の「強さ」**なのです。


